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(その1)
 2003年9月28日、台北市大龍の孔子廟の前には、夜明け前からたくさんの人だかりが。

 この日は「教師節」といって、孔子の生誕を祝う祝日。孔子廟で行われる式典を一目見ようと、みんな日も昇らないうちからチケットを握り締め、並んでいたのです。
 式典は午前6時からだというのに、5時前には、チケットは完売という人気ぶり。買えなかった人は、残念そうに外から中の様子をうかがっていました。

◆ 台北孔廟 928釋奠典禮

 現代の教師の地位は、昔ほど高いものではありませんが、「教師を尊敬する」という伝統的な教えを確認するため、毎年この教師節を行います。また、全国各地で教育へ多大な貢献をした教師を表彰したりもします。

 この式典の最大の見所は、「至聖先師孔子」の祭典です。教育に心血をそそいだ孔子に感謝するこの祭典は、台湾にも中国の伝統文化が色濃く残っていることを示しています。

 この教師節に催されるこの祭典は、台湾の12大祭事のうちの1つで、海外からも一目見ようと観光客がたくさん訪れるのですよ。

◆ 教師節の由来

 中国の春秋戦国時代といえば、中国全土を巻き込んだ派遣争いにより、国中が荒れに荒れていた時代です。そんな国のありさまを嘆いた孔子は、社会の秩序を取り戻すためには、人々に教育を行き渡らせ、君主には絶対君主の考えを捨てさせる必要があると考えました。そして、「有教無類」(誰にでも教え、差別をしないこと)と「因材施教」(人に応じて適切な教育をする)という教育の精神を説き、後に儒学の祖とまで呼ばれるようになったのです。

 孔子は、儒学の思想を中国全土に広めた思想家として知られてるだけでなく、教育者のお手本としても知られています。

 こうして、孔子の生まれたとされる新暦の9月28日に孔子を称え、また現代の教育者たちの労をねぎらう祭典が行われるようになりました。

◆ 孔子祭典の由来

 「礼記」(「礼(儒教的な慣習に基づく規範)」を記した書)によれば、周朝時代の学校では、季節ごとに教師へ感謝する式典を行っていました。当時の式では、教師といっても特定の誰かに対して行われていたものではありませんでした。

 しかし、孔子が亡くなってから2年後の紀元前478年、当時の皇帝魯哀公の命令により、曲阜県にある孔子の旧宅に生前の品を集めて孔子廟を作り、孔子に感謝する祭事を行うようになりました。
 生前、教育に多大な貢献をした孔子を隋の時代になると、尊敬の意を込めて「先師」と呼ぶようになりました。そしていつの時代からか、「釋奠」が孔子廟のお祭を指す言葉となったのです。
◆ 台湾省孔子の祭典の由来

 中華民国(台湾)の創立直後は、国が不安定だったため、孔子祭典を予定通り行うことは出来ませんでした。しかし、当時の大統領である蒋介石が、伝統文化の喪失を憂い、中華民国57年2月22日に内政部、教育部に指示をだし、「孔子祭典実行委員会」を設立しました。委員会は、礼儀・服装・祭器・音楽・舞踏などを研究し、見事に実現させたのです。

 その後、毎年9月28日の教師節には、各地の孔子廟で祭事が行われるようになりました。

その2へつづく