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台湾鉄道の歴史
 

横山−九讃頭を走るDT672。この機関車は1940年代に日本で製造されたD51です。
台湾では30機以上のD51が走っていました。(写真提供:古仁栄氏)
 台湾鉄道は、1887年に清朝政府によって建設が始まりました。1891年に台湾北端の「基隆」から「台北」まで、その2年後の1893年には、「新竹」まで開通し、現在の西部幹線の一部が完成しました。

 1894年の日清戦争後、日本統治時代に入ってからは、日本政府主導のもと急速にインフラの整備がすすめられ、鉄道建設にも拍車がかかりました。1908年には「基隆」から台湾の南の大都市「高雄」までが開通し、その後も「宣蘭線」「花東線」「屏東線」「淡水線(現在は廃線)」「平溪線」など、現在も台湾鉄路局が運営している路線が次々完成しました。路線だけではなく、当事建設された集集駅、新竹駅、台南駅、高雄駅などの駅舎が現在も使われていることから、当事日本政府が台湾の開発にかなり力を入れていたことがうかがえます。(当事使用されていたSLなどは台北の二二八公園で見ることができます)鉄道が交通・物流の要であった当事は、他にもたくさんの支線がありましたが、道路網が整備されている現在、そのほとんどが廃線となっています。

 戦後しばらくは軍備優先の政策が取られ、インフラの整備は後回しにされました。その後1980年に、「北廻線」が開通、1992年に「南廻線」が開通し、ようやく台湾全土を一周できる鉄道網が完成したのです。

 2005年には、西部幹線の台北〜高雄間に、日本の新幹線システムを導入した高速鉄道が開通予定です。
 ※開通予定は2006年10月に延期されました(2005年11月現在の情報)

年表
 
清政府時代
1887年(光緒13年) 全台湾路商務総局が成立。台北〜基隆間の鉄道の工事が開始される。
1891年(光緒17年) 台北〜基隆間が開通。
1883年(光緒19年) 台北〜新竹間が開通。
日本統治時代
1900年(明治33年) 「新竹」から「中港(頭◆)」まで着工。木と煉瓦で出来た「台南駅」が完成。台北〜淡水間の「淡水線」が1901年の8月に開通。(◆=にんべんに分)
1908年(明治41年) 4月20日に「基隆」から「打狗(現在の高雄)」まで開通し、10月24日台中公園にて「縱貫鐵路(西部幹線)全通式」が行われた。
1913年(大正2年) 「新竹駅」が完成。
1914年(大正3年) 「阿里山森林鉄道」が開通。
1916年(大正5年) 「淡水線新北投支線」開通。「新北投駅」が完成。
1917年(大正6年) 「宜蘭線」着工。花蓮〜玉里間開通。
1918年(大正7年) 「平渓線」着工。
1919年(大正8年) 「縱貫線(西部幹線)海線」着工。「彰化扇形車庫」建設。「頓物駅(現在の竹田駅)」開設。
1920年(大正9年) 「阿里山森林鉄路」客運営業開始。
1921年(大正10年) 玉里〜関山間着工。「平渓線」開通。「集集線」開通。
1922年(大正11年) 「羅東森林鉄道」着工、1923年開通。「集集線」客運開始。「集集駅」開業。「縱貫線海線」開通。「菁桐坑駅(菁桐駅)」設立。「縱貫線海線」開通。海線各駅完工。
1924年(大正13年) 「宜蘭線」全線開通。「三貂嶺駅」営業開始。「羅東森林鉄道」開通。
1930年(昭和5年) 「集集駅」完成。
1935年(昭和10年) 台湾の中部で大地震発生、地震で被害を受けた「造橋駅」「銅鑼駅」「泰安駅」「清水駅」「二水駅」「橋頭駅」など木造駅を煉瓦建築で再建。
1936年(昭和11年) 「台南駅」開業。
1937年(昭和12年) 「新北投駅」完工。
1941年(昭和16年) 「屏東線(南廻線:台東〜高雄間)」完工。
光復後
1946年(民國35年) 新竹〜竹東間の支線(内湾線)が完工。1947年開通。
1950年(民國39年) 「内湾線(新竹〜内湾間)」開通。
1980年(民國69年) 「北廻線(蘇澳〜花蓮間)」開通。
1987年(民國76年) 2月「捷運(MRT)工程局」設立。
1988年(民國77年) 「旧萬華駅」を取り壊し改築。7月16日「淡水線火車」運営終了、7月22日に「台北捷運(MRT)」着工。
1999年(民國88年) 9月21日台湾で大きな地震(921震災)が発生し、捷運は一時運営中止。「集集線」「集集駅」は921地震で大きな被害を受け運営中止。
2001年(民國90年) 1月台北市の捷運の総乗車人数は5億人を突破。921震災で被害を受け閉鎖していた「集集線」が再開、「集集駅」運営再開。
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